あんまり背が伸びなかった娘ちゃん
娘ちゃんの名前は撫子ちゃんにしてます。
それなりに深刻であるはずの「アタシって本当に、あの藍染惣右介の娘なんかな」という台詞を聞いたひよ里が思ったのは、何かしらのシリアスな感情を伴うものではなかった。
固めの煎餅を齧ることに躊躇すらしなかったそれは、言葉すれば至極簡単な「いまさら?」の四文字……疑問符を入れるならば五文字であり、それはなに言ってんだこいつと大差ない。
なにせ既に彼の大罪人があらゆる騒ぎを起こしてから一年が経っている。疑問に思うならもっと前にいくらでも機会はあったはずだ。
「はァ?言うのが一年遅いわ」
「なんやねんひよ里姉、こんな悩んどる可愛い撫子ちゃんに厳しない?」
「悩んどるやつはハッチからエクレアをカツアゲせんわボケ!」
「ちょうだい言うたらくれたもん!それに半分こやからカツアゲちゃうわ!」
仮面の軍勢はこの少女が菓子を見つけ「これ誰の?」と聞いた時点で半分ないし全部をあげてしまうので、なんやかんやで好きそうなものを買う癖がある。
6個入りのミニエクレアを買っていたのも今日来ることが分かっていたからだろう。発育が遅いせいもあって、皆なにかと食べさせたがるのだ。
そんな菓子をいつも通りに受け取って食べ、なんなら「しょっぱいのも食べたいから取り替えて」とエクレア一つと煎餅を取り替えている姿からは悩みというものは感じられない。
ましてや出生の悩みなんてものを語るのには相応しくない。BGMが古い刑事ドラマというのもなんとも緊張感にかけている。
「んで?今更なんでそんなこと言い出したん?」
「アレが取っ捕まって暫くした後、アタシの背がちょっと伸びたやろ?」
「あー……そんなこともあったな」
「おっこれはアレの血もまともな仕事するやんけと思ったのにこれや」
これ、と言いすくっと立ち上がった姿は少し前と比べれば成長しているものの、お世辞にも高身長とは言えない。
言われている相手が百年を超えて背が伸びていない事は今は置いておくとしても、その身長に父の血を感じることはない。
「無意味に図体でかいのに、アタシは全然大きくならへんやん!」
「それで娘がどうの言い出したんか?」
「アイツの遺伝子って髪以外に反映されへんの?」
「髪も色は負けてるやん、雑魚やな」
吐き捨てるように言い放たれた言葉に撫子は大人しく着席し、エクレアのクリームを啜る姿は少なくとも大人には見えない。
ひよ里は甘ったれの子供の姿に鼻で笑い、煎餅の残りを噛み砕いた。成長しただのなんだの言っても、やっぱり子供だと思いながら。
「父親としてなんも役に立たんのやから身長くらい貢献してもええと思わん?」
「乳とケツは多少でかなったろ!無駄にデカなりよってからに!!」
「セクハラやセクハラ!それに胸はオカン似やもん!それなりにはあるやろ!」
「なんやねん乳がお父さんに似てますねとか言やええんか?このハゲ!」
「剥げてへんもんフサフサや!」
見た目だけなら姉妹の喧嘩に見えるのに、赤子の頃から世話されているのは見た目の大きい方である。だからなのかこれだけキャンキャン言い合っても小さいと煽りはしない。
単純にそこをつつくと十倍にも二十倍にもなってくるので、触らぬ神に祟りなしとでも言わんばかりに避けているのかもしれない。相手は死神だが。
「てかクリーム吸うな、行儀悪いわ!」
「ひよ里姉にお行儀教わらへんかったから」
「人を言い訳に使うとは良い度胸やなァ!このクソガキ!」
「ひよ里姉なんて猿ガキやん!」
「オマエも名前の通りなら平たなれ!」
「やめてや!顔伸びたらどないすんの!」
思い切り伸ばされた頬を大袈裟に擦る姿に「べっぴんにしてやっただけやろ」と言いながら、気にせずバリッと新しい煎餅の小袋を開けた。
しかしそれにかじりつく前に、ふと思い付いた様に動きを止める。頬を擦っても慰めてくれないのがわかって大人しく茶を啜っていた撫子が不思議そうに首をかしげた。
「一個、嫌がりそうな事に気づいたわ」
「ええ……いやなんやけど、なに?」
「シンジはケツ小さい」
「えっ?尻大きなるのアイツの血なん?ほんまにいやや!」
頬を膨らませて文句を言う姿を見ながら、撫子の母親が隊長に復帰する際に実は生まれて暫くした時に父親が誰か察していたと話していた事をひよ里は思い出していた。
少し気まずげに「耳とでこの形がそっくりやから、そりゃわかるわ」と言った姿にムカついて薄くて固い尻を蹴りあげてやったことも。
「ま、知らんでええこともある」
あんなやつに似ている事なんて知ってる必要なんてないとしたり顔でひよ里が齧りついたエクレアは、少し表面のチョコレートが溶けていた。