あるTS転生牝馬の話2
初めて種付けという名の陵辱を受けて時間が経った。種付け直後はあの経験を夢と言い聞かせながら現実逃避していたが、残った男としての残滓に止めを指す知らせがあった。獣医さんからの「受胎している」との言葉。即ち、俺が孕んだという報告だった。私の胎に男としての尊厳を蹂躙したあのクソッたれの仔が宿っていると思うと嫌悪感が凄かった。しかし、競馬界を席巻した名牝の子供をおろすなんて選択肢はあり得ない。何より、宿った命を消すという選択を残った人間としての倫理が食い止めたのだ。そういう意味では俺は完全な牝馬にはなり損ねているのだろう。そして、日々膨らんでいく己の腹を眺めること数か月。ついに、その日がやってきた。
『が…!!ぎ……い…!!!』
唐突に破水が始まり、胎の仔を産み落とそうと蠢動する。外界で生きられるほど成長した子供の身体を狭い陰部から出そうとするのだから、骨格は変形し体内組織はその耐久の限界に近い力を受ける。そして、それに伴う激しい陣痛が俺を襲うのだ。
痛い痛い痛い痛い痛いいたいイタイイタイイタイイタイ―――――!!!
前世を含めてもこれだけの激痛を受けたことがあっただろうか。本音を言えば今すぐ意識を手放してしまいたかったが、強靭な肉体がそれを許さなかった。そして、痛みと格闘すること数時間。獣医さんや職員さんの手助けを受けて、仔馬が胎内から引き出された。
若干朦朧とする意識の中で産まれた仔を見る。毛色は黒色。俺の茶色と違う、クソッたれの色。己の遺伝子は奴の遺伝子に勝てなかった。子供まで奴に染められてしまったという怨嗟はある。人間の男であれば、育てる記憶を失っただろう。だが、不思議なことにそれ以上の慈愛が湧いた。腹を痛めて産んだからか、あるいはこの肉体の母性本能か。この世に産まれてきたこの仔への慈しみを止められない。自然の首が動き、震える仔の背中を舐める。
『おれ……の…こども……』
俺はこの日、自分が馬の雌であることを受け入れた。思えば、これから続くであろう長い馬生に対する適応本能だったのかもしれない。
出産を終えても繁殖牝馬は忙しい。出産から数週間で新たな種付け相手を探すのだ。生まれて間もない仔馬を引き離すことは出来ないので、種付けは仔馬同伴で行われる。最初程の嫌悪感は無い。ただ、目の前で親の種付けを見る子供に対する憐憫はあった。この子に自分同様人間の魂が宿っているかは分からない。ただ、そうであったならこの俺の痴態を忘れてほしかった。
子供はスクスクと成長する。半年も経たずに身体は200キロを超え、大人と遜色ないがっしりした身体になった。放牧地を慣れない足で歩く姿は微笑ましく、つぶらな瞳は人から見ても愛嬌があるだろう。そして更に月日は過ぎ、別れの季節がやってくる。これから子供は親元を離れ、同世代の仔馬達と将来のデビューを見据えた追い運動や集団生活を始めることになる。職員さんに俺から引き離されていく仔は、もう会えないと察したのかか細く悲しそうに嘶いた。心が痛むが、この子が少しでも長く生きるための必須儀式だ。特に何もすることなく遠のく背中を見守った。
あの子には数多の試練が襲いかかるだろう。厩舎に入っての調教の日々。ゲート試験をクリアしてようやくのスタートライン。同世代や年上年下との過酷な競争生活が始まるだろう。毎年8000頭近くの競走馬が競争の道に進み、G1を勝てる馬は大体20頭前後、重賞を勝てる馬は120頭前後、最終的にオープンまで上り詰める馬は240頭程度、そして―――1勝すら出来ずに引退する馬は全体の6割を超える。競争成績が振るわない馬の末路は廃用だ。仮にこの過酷な競争を勝ちぬいたとしても、病気や故障のリスクに見舞われる。そこから種牡馬や繁殖牝馬として重用され、功労馬として安住の地を得られる枠の何と少ないことか。現役時代にG1を複数勝った俺でさえ、必ず長生きできる保障はないのだ。
『頑張れよ――――』
願わくば、あの子の馬生が幸せで実りある安らかな物であらんことを。