ある日の一家 ~高級ワインを添えて~
「ヒカルー、これ見て見てー!」
「えっ!アイ、それ一体どうしたんだい?僕でも名前を聞いた事があるような高級ワインじゃないか!」
ある日母さんが仕事から帰ってきたら、何やら下が騒がしい。何事かと思ってキッチンへ向かったところ、母さんがその手にワインを持っていたのに気付いた。
「あ、ただいまアクア。見て見てー、今日撮影が終わったドラマのロケ先で貰っちゃったんだ!」
「ロケ先で?」
「うん。今回のドラマが地域活性か何かを兼ねたものらしくてさ、今観光客とかワインを買いに来る人が増えてるんだって。だからそのお礼にどうぞって言ってくれたの」
なるほど、地域活性のお礼か。そう言えばこの撮影が始まる前に壱護さん達がそんな事を言っていたなと思い出した。
その貰ったワインはきっといくらか値段のする一品(1本で3~4万くらいか?)なのだろう、父さんがオロオロと狼狽するほどなのだから。母さんも随分と気前の良い贈り物をされたなと思いながら、件のワインのラベルを覗いてみる。
どれどれ、何て言う銘柄のワインなのか…な…!?
「シ、シャトー・ペトリュス…!?」
「何それ?」
「流石だねアクア、やっぱりこのワインの名前知ってたんだ。昔から推理ものとかミステリーものの小説をよく読んでるもんね」
これは父さんが狼狽するのも納得がいく逸品だ。
このシャトー・ペトリュスと言う銘柄のワイン、とある名探偵の少年が活躍する作品でも軽く触れられていたように、アガサ・クリスティ作の推理小説に登場する名探偵『エルキュール・ポアロ』がある事件にて飲んだとされるワインだ。
「しかもよく見たらこれは30年物か…。うろ覚えだが1本で50万近くするんじゃないか?」
「ご、ごごご50万円!?これ1本だけでそんな値段するの!?」
ひえー、と言いながら母さんが心底仰天している。それもそうだろう。俺だって知識がなかったら、こんなスーパーで売っている牛乳にも満たない量の酒が、札束を用意しなければ手に入らないなど到底信じる事など出来やしない。ましてや、母さんはそれをポンッと手渡されたのだ。そんな超が付くレベルの高級品であるとは露ほども頭に浮かばないだろう。
「で、それどうするんだ?」
母さんはうーん、うーん…と唸りながら考え込んでしまった。
まあ超高級とはいえ、物自体はワインだから使い途はいくらでもある。牛肉の赤ワイン煮込みなんてものもあるし、定番料理のビーフシチューなんかも良いだろう。流石に1本数十万円もする品を使うのは大分気が引けるが。
長い熟考の末、ようやく結論が出たらしい。母さんが伏せていた顔を上げた。
「飲もう!きっとそのためにくれたんだと思うし、飲まないと勿体無いもん!…でも私1人だとちょっと怖いからヒカルも手伝って……?」
少し潤ませた目+上目遣いで母さんが父さんに頼み込む。これをされた際に断れた父さんを見た試しは1度も無く、今回もまた駄目だろうなと考えていたら案の定。即決即断でOKを出していた。
母さんの上目遣いにやられてほんの少しだけ鼻血を出しながら。
「よし、じゃあ今日の夕飯は予定よりちょっと少な目にして晩酌をしようか。アクアとルビーには飲ませてあげられないけど、2人もジュースで一緒に参加するかい?」
「ああ、だったら俺達も相伴にあずかろう。間違ってもルビーが飲まないようにストッパー役も必要だしな」
ルビーの奴は昔から好奇心が旺盛だ、それは高校生になった今でも変わっていない。今の話をあいつが聞いたら、興味を惹かれる事は間違いないだろう。20歳に満たないアイドルの妹に飲酒などさせるわけにはいかないので、仕方なく諫める役を買って出た。
「えっと、晩酌のおつまみに使えそうな食材は…と。うん、なんとかなりそうだ。
アクア、もうすぐルビーも帰ってくると思うからこれで2人のジュースとお菓子を一緒に選んで来て良いよ」
そう言って父さんは俺に5000円札を手渡してきた。
「…多くないか?こんなにあったらルビーが調子に乗って大買い物するぞ?」
「ほら、最近は色々と物価が上がってるからさ。余ったお釣りだけ返してくれればいいよ」
「それは5000円全部使っても良いって言ってるようなもんだぞ…。分かった、なるべく調子に乗らないようここでも目を光らせておくよ。ありがとな、父さん」
「ただいまー!」
そうこうしている内に玄関からルビーの元気な声が響く。噂をすれば何とやらだな。
「おかえりルビー、突然だけど買い物に行く準備をしてくれ」
「え?どしたの急に」
「アイが仕事先でお酒を貰ってきてね、今日の夜晩酌するからアクアと一緒にルビー達の分のジュースとお菓子を買って来てほしいんだ」
「好きなもの買って来て良いよー!」
「え!ホント!?だったら早く準備しなきゃ!お兄ちゃんも、早く早く!」
急に目の色変えたな、現金な奴だ。
さて…ルビーも早速乗り気になったようだし、俺も準備して行くか。
◇◆◇◆◇◆
「ヒック…あくあぁ~るび~…ふたりとも大きくらったよねぇ~……ヒック…」ケラケラ
「うう…ヒック…ろうして僕はこうなんだぁ……ふがいらいパパでごめんよぉ~…ヒック…」グスッグスッ
「「……………………」」
何だこの地獄絵図は。これが俺達の尊敬する父と母の姿なのか?意気込んで飲むと決めたまでは良かったが、2人は自分の酒への耐性を知らなかったと見える。
それに2人は酔ったら眠くなるようなタイプだったら楽で良かったのだが、その願いは虚しく散った。しかもタイプの違う酔い方だった。母さんは笑い上戸で父さんは泣き上戸か…。
「お兄ちゃん、どうする?2人共すごい事になってるけど…」ヒソヒソ
「どうするって言われてもな……2人がこんなに酒弱いなんて知らなかったし、ひとまず酔い醒ましに水を用意するぞ」ヒソヒソ
「うん、分かっ……わあっ!」
2人の酔い醒まし用の水を用意しようと立ち上がったルビーが、突如目の前から消えた。
何が起こったのかと思い、辺りを見渡してルビーを探す。
視界に捉えたルビーは、母さんに抱き締められて頬擦りを受けていた。
「ルぅぅぅぅビぃぃぃぃ!ほんっとにルビーきゃわ~~~~~♥️♥️♥️」スリスリスリスリ
「あ痛たたたた!ちょ、ママ!?離れて、頬っぺた熱いぃ!」
「あっははははは!!」
ア、アイ大好きなルビーが全力で拒絶の意思を示している…。まぁ見るからに凄まじい威力の頬擦りと抱き締めだから脱出したいのも当然だろうな。子供の頃に楽屋を訪れた時、芽依さんにもみくちゃにされた事を彷彿とさせる様子に、ルビーには悪いけどされているのが俺じゃなくて助かったと胸を撫で下ろす。
「さて、この惨状どうしてくれようか…。まずルビーを助け出してからなんとか2人を寝かせ……ん?」
状況解決の手順を模索していると、頭に何かが触れた。振り返ってみると涙をポロポロと流す父さんがそこに立っていた。
「アクアぁ……」グスッ
ギョッとした。普段はあんなにポヤポヤしていると言うか穏やかな父さんがボロ泣きをしながら俺の頭を撫で回している。
「な、ど、どうしたんだ父さん…?」
「ごめんよアクア……僕は僕が不甲斐ないよ……」ポロポロ
「な、何がだ…?」
「僕は前から役者やってたのに……アクアに色々教えてあげてたら今アクアがそんなに悩む事も無かったかもしれないのに……」ポロポロ
「!」
酒に酔うと人の本性が顕れるとよく聞く。母さんは普段よりも大らかになり、スキンシップが激増している。もっと普段から触れ合いたいって思ってたりするのか…?
それに対して気になるのは父さんの方だ。
さっき言っていた事は、父さんの心の中にずっと残っていた後悔なのかもしれない。
……。
「…父さん、そんな事で思い悩まないでくれ。俺は周りとの実力差で勝手に腐っただけだし、それは俺の才能の問題だから」
「でも……」
「それにさ、俺が今役者の道をもう一度歩くか考えるようになったのは父さんのお陰でもあるんだ。
父さんも俺達双子を育てるために一度は役者の道を降りたんだろ?それでもまた志して、ララライに足を運んで勉強している。そんな父さんの背中が、俺には大きく見えたんだよ」
「アクア……」
「だから俺も、父さんと同じように前を向かないとなって…なんか言っててハズいなこれ」
「お兄ちゃんお酒飲んでないのに顔真っ赤~」アハハ
うるさいぞルビー。お前だって母さんに頬擦りされまくって両頬真っ赤じゃねぇか。
つーか本当に赤いな。大丈夫か、痛くないか?
「うう、息子がこんなにも優しい……また泣きそうだよ……ヒック…」ポロポロ
「いや泣いてる泣いてる」
「あはははは!私達の子供は2人共可愛いし優しいしでこれ以上無いよね!ヒック、アクアもルビーも愛してるよぉー!……」アハハ…パタッ
「僕も愛してるよぉ……ヒック、僕の家族は世界一最高の家族だよ……」ポロポロ…パタッ
……どうやら酔っ払い2人は寝てしまったようだ。最後の最後に特大レベルの愛を口にしてから。
「…父さんと母さんにはもう酒を飲ませたら駄目だな」
「そうだね。後片付けとか介抱は別に良いんだけど、そんな事よりも……」
「「俺/私達の方がいつか持たなくなる」」シュウゥゥゥ
翌日、目を覚ました2人は昨晩の有り様を全くと言って良い程覚えていなかったので、酒酔いとしては最もたちが悪いタイプの人間だという事が判明した。
以降、2人には俺とルビーから強めの禁酒勧告が発令されたのはまた別の話。