ある好奇心が招いた結果について
人は誰もが秘密を持っている。
下らない物から重大なものまで、解き明かした方が良いものから秘したままにするべきものまで。
その種類は様々で、錦木千束が見つけたその秘密はどのように評するべきであったろうか。
事の起こりは千束が交際している男子の部屋に遊びに行った事である。
今回が初めてという訳ではない、というかちょくちょく転がり込んで、半ば千束のセーフハウスの一つ扱いだ。
どこに何があるかと言うのも把握して、この部屋での生活と言うのにも不便が無くなり始めてきた。
まぁ、そうなると夜を過ごす機会も増えてきて……そこから先は言わぬが花であろう。
とにかく、そういう日常の中の一幕という話で済むはずであった。
少し変わったことがあったと言えば、彼がリコリコの配達の仕事が少し遅れるという事で千束が一足先にお邪魔していた事。
そして家主が居ないのをいいことにいらぬ悪戯心を起こした事だろうか。
「やっぱあったじゃん」
ベッドに腰かけた千束がにんまり笑って彼の部屋に隠されていた雑誌を手に取る。
それは女性の裸体や行為などのあられもない姿の写真を数多く収めた所謂エロ本である。
丁寧に隠されていたが千束にとって見つけるのは容易かった。
以前からちょくちょくカマを掛けていたのだ。ストレートに「もしかしてエッチな本隠してるんじゃないの?」とかちょっと捻って「掃除やっておくね」とか。
その度に彼の視線や体の動きを逐次観察し、一番守ろうとしている場所がどこなのかを割り出していた。
リコリスとしての観察眼と、どんな動きであろうと瞬時に捉え反応しきる彼女の才を組み合わせれば容易い事である。
色んな人達から、なんて才能の無駄遣いなんだとか、そんな事の為に訓練を仕込んだわけじゃないとか言われそうだが、会得した技術と生まれ持った才能は千束自身のものだ活用して何が悪いと彼女は返すだろう。
それはさておき問題はエロ本の方だ。
千束は自分が理解のある彼女だと思っている。実際には見つけた時、それなりに動揺したのを無理やりに無視しているだけにしか過ぎないが……とにかく男子がこういう本やDVDなどを所有するのは普通のことだと知識の上では知っていた。
興味本位で見つけたものを興味本位でページを捲る。
「おぉ……」
羞恥と感心が入り交じる声が上がる。
女が男に奉仕していたり、獣が覆いかぶさるような行為、様々な道具を使って責められる場面もあったし、周囲に魅せつけるような写真もあった。
「こういうの、好きなんだ」
普段の彼との行為は全く違う、ある種暴力的な男女の関係。
演技が入っていると判っていても恍惚そのものな女性の姿に千束はどこか心惹かれる。
そして同時にある疑念が沸き起こるのだ。
「もしかして、いつも不満なのかな」
千束自身は彼との行為には満足しているし、彼もそうだと思っていた。
けれど、こういう本を持っているという事は本当はもっと違う事をしたくてただ単純に我慢しているんじゃなかろうか。
最初はただの好奇心から始まった事が段々と不安を誘ってゆく。
其処にあったのは長い黒髪の女性が目隠しをされ手錠でベッドに繋がれている本だった。
他にも似たような本はある、ただ千束にとってそれを目にしたときの衝撃たるや凄まじいものがあったのだ。
「……これ、まさか」
「千束、待たせてごめん」
千束が世界で一番よく知っている相手の名前を呟こうとしたその瞬間、玄関から声が掛かる。
「千束?いないのか?」
「ちょっとまって!!」
「え?どうした…ん…だ……」
慌てて本を隠そうとするが、ワンルームの部屋では絶妙に間に合わない。
結果として、千束はエロ本を持ったまま彼と鉢合わせる事になってしまった。
「あー……えーっと」
「違うんだ千束」
気まずくなりかけた空気を彼が押とどめる。
「これはその、そう、千束と付き合い始める前の奴で」
続けて出た言葉に、千束の目が一気に冷えてゆく。
言い訳は良くない。暴き立てたる秘密をなおも隠し誤魔化そうとするのは信じる事の否定だ。
「ふぅん」
「あの、千束」
「君、こういう趣味があったんだ」
ページをパラパラを捲りながら千束はそう言い放つ。
先程とは意味を同じくしながら熱のこもらぬ、拒絶する様な一言。
「いや、趣味っていうか」
「でも、そういう本ばっかりだよね」
「う……」
「それにほら」
問題の一冊を彼に突き付ける。
「これ、たきなだよね」
何を言われたのか理解できないと言った風に彼が目を白黒させる。
「は?」
「たきなによぉく似てるよね」
「ただ黒髪ってだけじゃ」
「君、たきなにこういう事したいんだ」
「いや待って、なんでそうなるの!?」
無茶苦茶な言い分だ。
本もモデルの女性も複数存在する訳で、その中の一冊を飾るのがが黒い髪であるというだけの話。
確かに、似ていると言えばそうであろうが、そこから井ノ上たきなへの劣情に結び付けるには強弁が過ぎる。
いつものジョークや揶揄いの類と思いたがったが千束の目が割と本気な事に少年は気づいていた。
「千束、誤解だよ」
「けど、君は私にこういうことした事ないじゃん」
「本はあくまで本だろ想像上の事だ」
本心を言えば興味が無い訳でもないし、千束を嬲り尽くす事を夢想したのとて一度や二度ではない。
だがそれを実行に移すという事は違う。
これは男なら多かれ少なかれ持っている支配欲だ、誰かを力で組み伏せ従えさせたいという暗き情動である。
彼はこの欲を制御できる理性があるし、ましてや好きな相手を傷つけたくないと言う意志の方が遥かに強い。
そもそも誰に対しても眩い笑顔を向ける錦木千束という少女が腕の中で誰も知らない側面を見せるというのは彼の優越感を満たすには十分すぎるのだ。
「どうだか」
一方の千束は不満げに吐き捨てる。
彼の事を嫌いになったわけでは無い。
ただ、彼が自分の前では素直でいてくれていると思っていて、それが裏切られた気がした。
今の今まで利己的に生きてきた千束だ、そういう生き方が好きだしこれからも変える気は無いし、一緒に歩む人もそういう人なんだろうと考えていて。
けれど好きになった人は自分の心にセーブをかける人だった。もっとずっとストレートに自分をぶつけてほしいのにそうではなかった。
そんな中で相棒の幻影を視てしまい「もしかしたら」と不安と嫉妬がよぎってしまうのだから始末が悪い
「だって、たきなはちょっと無しじゃん」
井ノ上たきなは錦木千束から見ても魅力的な少女だ。
千束はたきなと出会えたことが以前に伝えた時以上に嬉しいし心から感謝しているし、心の中でたきなが占める割合はとても大きい。
だからこそ彼の心がたきなに傾いたとしてもそれはある種納得できてしまうし、もし仮にそうなったら自分は大事な人をいっぺんに二人も失う事になる。
考えうる最悪のケースだ。
「俺が、信じられないのか?」
「そういう訳じゃ……ないけどさ……」
千束は聡い少女だ、自分が面倒臭い我儘を言っているのは自覚している。
けれど、ほんの少し揺らいだ確信を埋めてほしいのは本当の事。
恋とは互いに火をくべる様なものだ。
お互いの心の一番熱い部分を費やして強く大きく燃やし、やがてそれは愛のカタチを照らし出す。
その過程で燃え尽きる事もあろう火傷を負う事もあろう。
故に、千束の彼の全部をぶつけてほしいというのは間違っていないし、彼の千束をただの欲望の対象にしたくないというのも正しくはある。
だからこそ歯車が時に噛み合わなくなるのだって当然あるだろう。
今日はそう言う日だった。
それを理解したのだろうか彼は一つ大きく息を吸うと落ち着き払って千束の心に相対する。
「あの本みたいな事、俺は千束にはしないよ」
「なんで」
「だって千束、ああいうの苦手じゃん」
「……そんなこと、ない」
「そうだって注射だって痛いから嫌だって言うくせに」
「注射とこれは違うじゃん!」
「いーや、絶対途中でやっぱ無し!って言うに決まってる」
「言わない!」
「無理無理無理無理、千束さんにはむーりーでーす―」
「そこまで言うか!」
言葉と感情の応酬が段々とその場の空気を変えてゆく。
なんというかもうすっかり痴話喧嘩になっている場で、千束は負けてなるものかと言い返してやるのだ。
「じゃあ、相手がたきなだったらやっぱりするってことじゃん!」
たきなは色々な意味で相手に対して全力になるタイプだ。
多分、こういう場面になったら自分から進んで押していく行くだろう。
千束にはそんな勇気が持てなくてこんなぐだぐだとした状況になってるわけだが。
「ふぅん」
彼はいささかに不機嫌な顔をすると千束に顔を近づける。
鮮やかと言っていい程の手並みであっという間にその唇を奪うと、千束にとっても慣れ親しんだ優しく深いキスを注ぐ。
じっくりと時間をかけて千束の不満と言いたい事を全部押し込めてしまうように。
そうして頃合いを見計らったように千束を開放する。
「まず、たきなにはこういう事しないよ」
馴れていても未だに人工心臓の駆動が激しくなるキス。
千束は顔を赤らめながらも、じっと彼を睨みつける。
「……キスで誤魔化そうとしてない?」
「躱せたキスだろ?」
図星を突かれ千束は口を閉ざす。
好きな事を示してほしいと言う言葉は裏を返すまでもなく、千束が彼を好きだと言う意味だ。
その口付けを拒否する勇気もまた持たない。
「これじゃ証明にならない」
「じゃあ、信じてくれるまで何度でもやる」
そうして、またキスを繰り返す。
宣言通りに一度や二度では済まさずに。
これは千束と彼のエゴのぶつかり合いだ。
果たしてどちらのエゴが大きく強いのか、はてその結末を語ることは出来ない。
ただ、翌日になって隠し切れない程の痕と何故かリストバンドをつけた上機嫌な千束と、ちょっと千束と視線を逸らそうとする彼が居て。
何かを察したたきなが盛大に呆れたというのだけは確かな事であった。