ある親子の日常

ある親子の日常


 ───これは、藤丸家に夏美と冬華が産まれる少し前の話…。


───


 晴天に恵まれた夏の休日。蝉が鳴き、灼熱の日差しが肌を焼く。

 こんな日は、父がどんなに疲れていようと関係なく、家族で外に出かける。それが、ウルリッヒ・フォン・藤丸と藤丸立香の親子が交わした約束だった。


「久しぶりの森だね、おとーさん」

「そうだね。最近仕事が立て込んでたからなぁ…」


 その仕事には、非合法なルートで運び込まれた患者の診察も含まれたりしているのだが、まあ6歳の息子の前で語ることでもあるまい。


「じゃあ、久しぶりにどっちが先にカブトムシ捕まえるか競争だね!」

「よし、その勝負受けて立つ。今度も負けないぞぅ!」


 ウルリッヒことウルはカブトムシが好きだ。厳密にはヘラクレスオオカブトが好きなのだが、当然ながら日本にはいない。なのでショップでヘラクレスオオカブトを購入したり、日本のカブトムシを外で捕獲したりして欲求を満たしている。この勝負は、その過程で生じた親子のスキンシップなのだ。


「お、樹液見つけた」


 立香が得意げに宣言したのを聞いて、ウルは驚きと腹立ちに目の色を変えて振り向いた。


「うそ! どこどこ? 僕見落としたりしてないのに!」

「あー、でもあそこにいるのはカナブンとかばっかりだな。ハズレだ。…まあでも、幸先良いな。この調子でがんがん行くぞ」

「負けない! 今日は絶対負けないから!」


 ぷくー、と膨れるウル。ウルの戦績は一二勝九敗一引き分け。4歳から6歳に至るまでの通算捕獲スコアはウルが17匹に対して立香が8匹である。目下、ウルの圧勝ではあるのだが、ここ数回は立香が怒濤の三連勝を収め、チャンピオンに多大なプレッシャーを与えていた。

 ムキになって先を急ぐウル。その様子を見守りながら、立香は苦笑いが止まらなかった。

 …それは「罠さえ作れば、ウルのスコアを上回ることなど簡単に出来る」、そんな心理からくる結構ひどい笑みだった。今のところ正々堂々勝負している立香だが、大人の余裕が消えれば即座にプライドを捨て、卑劣な罠戦法に走るだろう。立香は割と汚い大人だった。


「見つけたー! でも高ーい!!」

「やばい、先を越されたか…」


 これは罠を作る必要が出てきたか…? と思いながらもウルの方へ向かう。ウルが見上げる先には、染み出す樹液に群がるカブトムシやカナブンがいた。蜂は……良かった、いない。


「…採れないね」

「いや、おとーさんが手伝えば採れるさ。ほら!」

「えっ? …あははっ! 高い、高い! これなら採れるね!」


 父親の肩車は、ウルの大のお気に入りだった。高所恐怖症でもない限り、高い視野というのは子供の憧れなのだ。

 …そして、そんな親子を見つめる視線が3つ。


「ウルったら元気ねー」


 そう言いながらペットボトルのオレンジジュースを煽るのは、ウルスラ・フォン・藤丸。立香とクロの娘にして、ウルの姉である大人びた少女だ。


「ウルスラ、あなたは行かないの?」

「わたしはパス。採り尽くしたら来年困るでしょ?」

「子供が変な気回すんじゃないわよ…」

「あら、お母様譲りの気質よ? これ」

「はぁ……これよ。イリヤ、どう思う?」

「えー、この親にしてこの子ありって感想が出るんだけど」


 ウルスラとウルの母……クロエ・フォン・藤丸とイリヤスフィール・フォン・藤丸は揃って頭を抱えた。

 手のかからない娘ではあるが、幼少期からこんな風では先が思いやられる。己の願望を表に出せない大人になりそうで、二人は心配だった。…何せ、姉ムーブの結果自分が二の次になりつつあったクロがウルスラの母なのだから。何なら父もクロの同類だし、余計に心配だ。


「お母様達は心配しすぎなのよ。わたしだってしたいこと、ほしいものがあれば言うわ」

「そういう願望出せなさそうだから心配してるのよ、わたしは…」

「クロ……ファイトだよ…!」


 ファイトと言われてもそれはそれで困るんだけど? とクロは呆れた。

 …ウルスラは、不完全ながら聖杯の器として機能する。ルビー達の検査では、サーヴァントの魂2〜3騎を取り込んで運用できるという話だった。先天的な調整を受けていない身で大したものだが、4騎以上取り込めば自壊する、とも言われた。アインツベルンにて聖杯の器として鋳造されたホムンクルスと、同様の末路を迎えるということだ。

 …ウルスラは、“魔術師としてのイリヤ”たる自分の子なのだ。クロはそう実感せざるを得なかった。

 人が何かを願い、そして叶える。それが善であろうと悪であろうと、聖杯はそういう在り方しかできない。それは、聖杯の力を行使できるクロ達にもある程度は共通する。違いがあるとすれば、確固たる意思の存在。それが育てば、また違った道も拓けるのだが…。


(難しいわね。…前途多難だわ)


 娘の未来に幸あれ、という願いが成就する日は来るのか。クロは心配だった。


───


『陽美香ちゃんはどうでしたか? 今日の料理は姉さんが担当したので、いつもと味が違うことに驚かれたのでは…』

「いつもと変わらないよ。心配してくれてありがとう、サファイア」

『ちょっとサファイアちゃーん? わたし何回か陽美香ちゃんに料理作ってあげてるんですよー?』

『…ケミカルなものを混入させてないか心配で…』

『え、なんかヒドい!? 旦那様が作る時は何も言わないのに!』


 娘が産まれて以降、藤丸美遊の日常は少し変わった。イリヤとクロの子供達とは違う子育てを必要としたことにより、外界とは微妙に疎遠になった。けれど、それも後一年足らずで終わる。


(後少しで、あの子を外に出してあげられる。そうしたら、ウルやウルスラ達と会わせてあげられる。わたしと立香お兄ちゃん以外の人間に…)


 娘……陽美香は、朔月家の血を引く赤い瞳の神稚児として産まれた。

 美遊は、陽美香より以前に子育てをした経験などない。が、愛娘を7歳になるまで外に出してはならないというのはどう考えても異常だと理解できた。

 朔月家の神稚児として産まれ、娘を神稚児として産んでしまった以上、これが必要なことだと理解はしている。それでも、やるせない気持ちは抑えられない。7歳になって外界を知った時、ちゃんと順応できるのか。そこが心配だった。

 …7歳を迎えた歴代の神稚児が大丈夫だったのだから、今回も大丈夫だと思いたい。…が、もしその情報を持ってきたルビーやサファイアの調査結果に不備があったら? …並行世界を調査するなんて無茶苦茶をやっている以上、不備はあって然るべきだと考えるのが自然だ。仮に不備がなくとも、無知ゆえの事故、いじめ……万が一はいくらでも想像がつく。

 それでも美遊は、陽美香に幸福であってほしいと願っている。それはどこまで行ってもエゴでしかなかったが、同時に美遊という母の愛が確かに存在する証でもあった。

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