あの日婚約者はオレに生きろと言った

あの日婚約者はオレに生きろと言った


 正午の鐘が教会から鳴り響き、ぼくは気絶の眠りから引きずり起された。

 今のぼくが押し込められてるのは王城の一角にある幽閉塔。鉄格子の入れられた窓から外を見れば、王城前で騒ぐ民と、断頭台に引き立てられる誰かの姿が見えた。

 あれは父上か、母上か、姉上か。それとも執事か、大臣か、騎士団長か。それとも生まれたときからの婚約者、いばら姫か。

 この遠さでは誰が命を落とすかはわからない。でもぼくが最後に断頭台送りにされるのだけは革命軍の人から教えられた。

 窓の外の日が雲に隠れ、部屋の中でハエが騒ぎ出す。やめろ。やめてくれ。ぼくはまだ生きているんだ。ウジ虫は痒くて気持ち悪いんだ。

 傷口に卵をまた植え付けられないように僕は布団代わりの汚れた布きれを振り回してハエを追い払う。

「はあ……はあ……はあ……」

 ハエが窓の外に飛んで行ったのを見送って、ぼくは疲れ果てた体を石の床に投げ出した。

 石の隙間をぼくの血が埋めていく。昨日の拷問の傷が開いたみたいだ。

 今夜は何をされるのだろう? また焼きゴテか? また病んだ花売りに囲まれるのか? また父上や母上をののしることを強いられるのかな?

「あ……ああっ」

 何でこんなことになったのかな? ぼくが何かしたのかな? 

 目の前をうろつくネズミは答えてくれずにドアの前に置いてある汚物粥をひっくり返した。

 ひっくり返った器の隣に、何かが置いてある。ぼくは目を擦った。

「玉?」

 玉が置いてある。誰がこんなところに投げ込んだんだろう? ぼくは這いずって近づき、玉を手に取った。

 玉はひんやりしていて、ぼくの頭ほどの大きさで、緑色。表面がトゲトゲしている。手に刺さるほどじゃない。顔を近づけると枯れたはずの涙が出てきた。

「いばら……姫」

 いばら姫の髪の香りだ。いばら姫が竜の姿で背にぼくを乗せて飛んだ時、背中の甲殻の隙間から漂う何とも言えない青く、柔らかい香りだ。

「ああっ……ああっ……ああっ!」

 これは悪魔の実だッ! いばら姫が食べたリュウリュウの実幻獣種モデル“エスピナス”! 

 本で読んだことがある。悪魔の実の能力者が死んだとき、悪魔の実は新たな主の元に現れると。

「今日処刑されたのは……いばら姫だったんだ……!」

 涙と鼻水が止まらない。いばら姫。本が好きなぼくを遠乗りや空に連れまわしていろんな景色を見せたいばら姫。もうその声を聞くことはできないんだ……

 リュウリュウの実をめい一杯抱きしめて、力の限りぼくは泣いた。

 泣いて、泣いて、泣いて。いつの間にか雲から出てきた太陽の日差しがぼくを照らす頃。

 抱えた実が温かいことに気付いた。腕を緩めると、硬い皮がぱっくりと割れて中から真っ赤な血肉のような中身がぼくの前に現れた。

 いばら姫が、これを食べてと言った気がした。

 皮を持って、中身を口に運ぶ。ここ数か月の間汚物粥だのネズミの死骸だの腐った果物だので不味い食べ物には慣れている。これぐらいどうってことないんだ。

「うっ……ひぐっ……」

 一体誰なんだろう? 悪魔の実が不味いなんて嘘を言った人は。美味しいじゃないか。甘いとか苦いとか渋いとかそういうものじゃない。ただただ美味しいとしか言えない。美味しすぎて涙が出るなんて初めてだ!

 一口食べる度にケガが治っていく感じがする。体に元気がみなぎってくる。

 体が大きくなる! 肌が緑色に染まって硬くなる! 翼が生えてくる! 

 熱い……胸の中心から指先まで全身が熱い! ぼくは今ドラゴンなんだ!

「うおおおお!」

 翼を広げると石の独房は積み木を崩すように壊れてぼくの前に青空を差し出してくれた。

 両足に力をこめればぼくは今までよりもずっと速く走り出し、砂山のような床を蹴って空へと駆け出して、翼が風を捕まえた。

 飛べる。ぼくは飛べるんだ!

「自由だああああーっ!」 

 一緒に行こう。いばら姫。ぼくと二人で、運命すら追ってこれないほど遠いどこかに逃げてしまおう。

 この日、死んだいばら姫がぼくに生きろと言ってくれた。

 

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