あの日々はきっと未来の二人の姿。

あの日々はきっと未来の二人の姿。


仕事を終えたアオキはオモダカの家に帰宅する。家の広さからまたとりあえず彼女の家で3人で暮らしていく方向で話している。まだチャンプルタウンのアオキの自宅はそのままだが、おいおい片付けていかねばならないだろうか。

そんなことを思いながらドアを開けると音に気付いたのかオモダカの声が中から聞こえる。


「お帰りなさい。」

「……ただいま戻りました。」


そういえば実家を出てからはずっと一人で暮らしていたから、お帰りなさいと言ってもらうのは久しぶりだ。何となく気恥ずかしい気持ちでリビングに入る。

オモダカは赤ん坊を抱えてソファに腰掛けていた。その横にはクエスパトラが控えていたが、そのクエスパトラの背に見覚えのない小さなポケモンがいるのに気付く。


「ヒラヒナ?」


アオキが呟いたその途端にムクホークが勝手に懐のモンスターボールから飛び出した。アオキが静止する間もなく彼はクエスパトラの隣に降り立つ。そんなムクホークの周りをヒラヒナがじゃれつくように飛び回り、クエスパトラがそっと寄り添う。仲睦まじい様子に思わずアオキは半目で自分の相棒を睨む。いつの間にかずいぶんと仲を深めていたらしい。


「記憶を無くしてしばらくした頃に、クエスパトラから卵を預かっていました。やはりムクホークの子ですか。」

「……すみません。」

「別に貴方が謝ることではないでしょうに。」

おそらく記憶がないあの時でしょうし、とオモダカは苦笑する。

そんな彼女を見下ろす。オモダカの腕の中では赤ん坊がすやすやと眠っていた。


「眠っているならベッドに寝かせないのですか?」

「ベッドに下ろした途端に泣くんです。抱いている方がまだ寝ていてくれるので。」

「なら、代わります。」

「……起こさないで下さいね?」


心配そうなオモダカからおっかなびっくり受け取り、何とか起こさないで抱えることに成功する。

まだ首も据わっていない娘はふにゃふにゃしていて頼りなくて。ポケモン達に比べたらずいぶん軽いはずなのに、とても重くて。何とも言えない気持ちが湧き上がってくる。

そうしてぎこちなく娘と触れ合っていると、オモダカに問い掛けられる。


「婚姻届はもう出したのですか?」

「記入は終わりましたが今日は提出していません。明日、提出しようと思っています。」

「そうですか。」

「あと明日届が受理されてからマスコミに結婚報告の書面を流すので。一応文面の確認をお願いします。鞄に入ってきるので。」

そう言うとオモダカは鞄から書類を取り出し読み始める。

「『この度、私オモダカはかねてよりお付き合いをさせて頂いていたチャンプルタウンのジムリーダー、アオキと結婚することとなりました。また、この度私たちは新たな命を授かりました。皆様におかれましては、これからの私達家族をどうか温かく見守って頂ければと思います。』

……『かねてよりお付き合いをさせて頂いていた』ですか。」

「そこは方便として受け入れてや、との伝言です。」

「そんな気はしていましたが貴方自身で書いたのではないのですね。」

「下手なこと書くと対応が面倒になるからこっちで考えますわとチリが言っていたので任せました。」

「……まぁ、主に対応するのはチリを始めとした本部の人間ですから、こうして休みを貰っている私がどうこう言うつもりはないのですが。」


当然ながら事実をそのまま発表する訳にはいかないし、無難な結婚発表の文面にせざるを得なかったのだろう。まぁこの文面では今妊娠中のように見せかけて実はもう産まれていますとか、ツッコミどころは多いのだが。その辺はもう考えないようにしている。ここからマスコミに根掘り葉掘り聞かれるのか、どうなのか。可能なら矢面には立ちたくないのだが。

あとお腹が目立ち始める頃からジムリーダーの視察も体調不良といって行っていないので、彼らもこの発表で初めて状況を知ることとなるはずだ。そちらからも問い合わせが殺到するかもしれない。色々と面倒なことにならなければいいが。たとえば突然ナンジャモが生配信しながら押しかけてくるとか。

どうすればそれを回避出来るか、と思っていたのにオモダカはそんなアオキの思いとは反対のことを言い出す。


「本当に、私本人が会見しなくていいんでしょうか?」

「痛い腹を探られるだけですし。貴女が産後のボロボロの体でわざわざやる意味はないでしょう。」

「……そうでしょうか?」


オモダカが何だか不満そうな顔をしたのを見て、少し言い方を誤ったと気付く。また彼女に何か誤解を生むような表現だった気がする。

けれどそれを弁明しようとした時、腕の中の娘がもぞもぞと動き、ふにゃあふにゃあと泣き始める。どうしたのかとうろたえているとオモダカががアオキの手から子を抱き取り、軽くゆすりながら顔を覗き込む。


「多分お腹が空いたんでしょう。」

「……泣き方でわかるんですか?」

「分かる訳ないでしょう。おしめは貴方が帰る直前に替えたし時間的にはそうだろうと推測しているだけです。」


そう言いながらオモダカはソファに腰掛けて赤ん坊に乳を含ませる。赤ん坊は待ちかねていたよあに小さな口で一生懸命飲み始めた。そんな娘を見つめるオモダカの顔は、今まで見た中で一番穏やかで優しい顔をしていた。

その隣に腰掛けてその様子を見ていると、胸が苦しいような、温かいような、何とも言えない気分になる。

ああ、よく聞く陳腐な表現だが、これはこういう気持ちだったのかと腑に落ちる。


「こういうのを、平凡でささやかな幸せと言うんでしょうね。」

「え?」

「……ありがとうございます。この子を産んでくれて。結婚を受け入れてくれて。」

「……どうしたんですか。急に。」


そう素直に伝えてみたというのに、オモダカは当惑した表情を浮かべていた。まぁ、そこで涙を浮かべて喜ぶとかそんな姿は想像も出来なかったしある意味では予想通りではあるが。思わず顔を顰めそうになるのを耐える。


「リーグで四天王の皆に言葉が足りないと言われたので、きちんと口にしようと思ったのですが。」

「……貴方の口からそんな言葉が出てくるなんて思ってもいなかったので、つい。すみません。」


不満に思っていたのに気付いたのか頭を下げられる。素直に謝られるとそれはそれでやりにくい。


「あなたにとっては貰い事故のようなものでしょうに。そんな風に感じる余地があるとは思ってもいませんでした。」

「それはまぁ、少し前まではこんな生活は想像もしていませんでしたが……でも、たとえあの一週間の前に戻れると言われたとしても戻りたいとは思いません。……今、貴女とこの子とこうしているのは、悪くないと思っています。」

「……そう、ですか。」


オモダカはそっと視線を逸らす。そしてお腹が満たされたのかいつの間にかうとうとと微睡んでいた娘を縦に抱えて背中を叩く。けふっと息を吐いた娘を再びその胸に抱くと、そっとアオキの肩に頭をもたれる。


「こちらこそ、ありがとうございます。」


「義務とか責任とか、それだけの愛のない結婚生活を貴方に強いるだけなら、ひとりで育てた方がいいと思っていましたが。……貴方がこうして側にいてくれるのは、幸せだと思っています。」


視線は娘を見つめたままで。こちらに視線を合わせてくれないまま、オモダカはそう呟く。けれどその耳が真っ赤になっていた。そんな彼女のことを愛しいと思う。


「家族として……夫婦として。これから、宜しくお願いします。」

「はい。」


そう言うと、ようやくオモダカと視線が交わる。何となく気恥ずかしくて目を逸らしかけたその時、オモダカの腕の中の娘がくちゅんと可愛らしいくしゃみをする。

思わず二人で顔を見合わせ、そして笑い合った。




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