あにわずらい
ホールケーキアイランド。
鏡の世界で、ロシナンテは出口を目指してコケながら駆けずり回る。よくない、とても良くない。
こんなに焦るのは肉親である弟のことだった。弟と丸一日顔を合わせてないどころか、声すら聞かせてないことにロシナンテは焦る。たったそれだけのことかと、誰しもが思うだろう。しかし、そうではないのだ。
それだけのことが、一大事なのだ。
顔は合わせなくてもまだいい、それだけなら半年は持つのはローの時に実証された。だが、丸一日、一度も声をかけてないのは非常にまずい。
「朝から数えて、あと30分もねェな…!早くしねェと癇癪が始まる…!」
喧騒の中、ドフラミンゴは俯き歩いていた。
ただ無表情に騒がしいはずの周囲の音を耳に拾うことなく歩き続ける。まるで兄の能力が常にかかっていて、それに加えて目隠しもされているような状態だった。
聞こえない、どれほど耳を澄ましても。
見えない、どれほど目を凝らしても。
ない、ない、いない。
理解している。兄は生きていると。
理解している。兄は俺を置いていかないと。
俺以外を最優先にしないと、俺から逃げたりしないと。
でも、それでも昔のことがフラッシュバックしてまた、不安に押しつぶされそうになる。
ファミリーを立ち上げて数年経った頃。
ある日、任務を終える時にドジをやらかし遠征期間が1日伸びた。やらかしたドジに関してはそこまでのものではなかったのだが、いかんせん場所が少し遠い。あの鼻水野郎共の嫌がらせであったのだが、断るわけにもいかず行ってみればこの様。でんでん虫も意図的にか偶然かわからないが"こちらからは"繋がりにくいもので、僅かギリギリ繋がった時に帰りが遅れる旨は伝えたが、相手の音声はノイズにかき消され聞こえず、それから何度も折り返したが、全く繋がる気配がない。
正直に言えば、俺が1日くらい離れていても、ドフィに対しては忠実な彼奴等とまだ信用できるヴェルゴが側にいたので心配はさほどでしていなかった。丸一日、弟どころか誰とも会話せず一人で過ごした日は静かで存外に悪くなかったと言えば俺はドフィに殺されるだろう。ようやくアジトがある街の近くのまでくるとでんでん虫がすごい勢いで鳴りだした。なんかすごかっためちゃくちゃ必死に鳴ってた。戸惑いながら受話器を上げ耳へと当てる。
「こちらコラソン、遅れる旨は伝えたはずだが、何かあったか?」
『ロシナンテッ!今どこにいる!?』
「ヴェルゴ?どうした何か問題でも」
『問題どころの騒ぎじゃない、すぐに戻ってこれないか!?ドフィがヤバい』
「は?!おい、何が起こってる!?状況を説明してくれ!トレーボル達は?ドフィは無事か!?」
『取り敢えずファミリーは俺以外を除いて全員気を失ってる、話してる時間は少ない!上を見れば粗方わかるか!?』
ドフィの身の危険に走り出した俺は上、と言われて顔を上げると目を見開いた。アジトの方角の空に幾本もの白い糸のようなものがドーム状に垂れ下がっている。唖然として持っていた荷物を地面に落とした。
ドクリと心音が響く。その瞬間、でんでん虫の声が遠くなって、代わりに別の音と声が聞こえ始めた。
「ぎゃぁあ!!!!」
「こんなことしたくないぃ!!」
「にげてくれェ!!俺から、離れろォ!!!」
何かを切り裂く音、何かが倒れる音、何かを振りかぶる音。絶叫。慟哭。
『ロシナンテッ!!ロシナンテおい!!』
でんでん虫と荷物を放って、俺はドームの方へと駆け出した。しばらく走り糸の直ぐ側まで近寄れば、均等に並んだそれらが少し曲がり俺を迎え入れる。訳がわからない。
中は地獄だった。幸い死者が出てないのが救いだが、それでも酷い有様だった。
あんなことはもうさせたくねェ。あの一件の、いや俺のせいで、ドフィは寂しさが耐えられなくなった時、自分が何か問題を起こせば俺が必ず現れ叱ってくれると認識が歪んだ。だから、アイツは俺が離れるとやらかす。姿を見せないのが、半年間。声さえ聞こえさせないのが約半日。それが過ぎれば地獄を作り出したあの技を発動させる。
角を曲がると見覚えのある紫髪の背の高い女がいた。相手もこちらに気がついたようで、目が合う。
「ウィッ!ウィッ!ウィッ!!この"鏡の世界"でアタシに出会ったのが運の尽き!!さぁ、神妙にぃ!?」
「おい、出口はどこだ!?早くしろ手遅れになる!!!!」
「ちょ、ちょっと、いきなりなんだい!?降ろしな!!」
「早く出口を教えろって言ってんだ!お前らの国民と兄弟の殺し合いが始まるぞ!!」
「はぁ?!」
「兄上、迎えきてほしいえ」
「兄上、今日は兄上の声を聞いてないえ」
「兄上、本当に俺こと置いて行ってしまったのかえ?」
ドフラミンゴの手からしゅるしゅると糸が天へと昇っていく。そして、ある高さまで到達すると、糸が島を覆うように降り注いだ。
剣を振り上げる町民が、愛する家族を泣きながら斬りつけていく。こんなことはしたくないと叫びながら矢を射る。頭の中で叫び続ける声達に頭痛と吐き気が同時にきて少し吐いた。頭が痛い。
「体が勝手に!!おれをとめてくれ!!!」
「ぱぱぁ…いたいよぉ!」
「私たちが何をしたというの!?」
『ゔぅ、ふ…ぐっ…!あ、あにぅっ!ど、こ?』
ふと、叫び声の中に嗚咽と聞き覚えのある声が聞こえすぐ顔を上げる。方角はアジトの方で、意識するとその声だけがはっきりと聞こえた。
『ど、ぅひぐっ、どこだぇ、あにうぇっ!お、れをおいてい゛か゛な゛い゛て゛ぇ゛!!!』
ガシりと肩を掴まれて我に帰る。
振り返るとヴェルゴが息を切らせていた。どうやら走ってきたらしい。
「お前どうやって入ってこれたんだ?!」
「ドフィが入れてくれた、アイツは今どこにいる?」
「…!ドフィが?そうか…やはり…!アジトの方だ、急ごう!」
「取り敢えず状況を説明してくれ!俺がいない間何があった!?」
「彼奴達がドフィの地雷を踏んだんだ、それでこの有様だよ」
一度繋がった電話に出たのは、運が悪くもディアマンテだったらしく。ドフィに俺が話した内容を伝えていなかったそうだ。挙句にトレーボルと悪ノリして、連絡をしない俺がドフィから離れたかったんじゃないかとか、いろいろ言ってくれたらしい。まだ11のガキの情緒の不安定さを俺たちも彼奴等も甘く見過ぎていた。
"ロシナンテが自分から逃げた"
ディアマンテ達に指摘されたその可能性はドフィの心を抉り、不安の芽を絶望の花へと昇華させた。負の感情に押しつぶされた弟は涙と声、そして覇王色の覇気という形で体から放出する。近くにいたファミリーは全員意識を失い、少し離れていたヴェルゴはかろうじて意識を保った。そして訪れた緊急事態を収めるため俺に電話をかけて、今現在合流したと話す。
この地獄は、やはり弟が作り上げたらしい。
鳥籠で逃げ場をなくし、寄生糸で体を操り惨劇を作り上げる。まるで蠱毒だ。自主的な殺し合いか強要された殺し合いかの違いはあるが。
……まだ、死人は出ていない。
アジトが見えた。
泣く声がさらに強く聞こえる。
女から聞き出した鏡から飛び出す。
ヴェルゴから聞いた場所へと辿り着く
「『ドフィ!!』」
「『あにうえ…!』」
涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔をこちらに向けて弟は俺を呼ぶ。
今回は間に合ったらしい。