端切れ話(あなたの髪を)
監禁?編
※リクエストSSです
アパートを借りて半月ほど過ぎ、トラブルがあった仕事先も通常業務に戻ろうとしていた頃。
エランは仕事帰りに手頃な屋台に寄っては、メイン以外の夕飯を買ってくるのが日常になっていた。
この地域は蒸し暑く、火を扱っている屋台に近づくと更に熱気が襲ってくる。エランは涼し気な顔をしながらも、自然と湧き出て来る汗に辟易としていた。
特に髪の毛…耳の前に垂らした髪が頬に張り付くので、よくエランはその部分の髪を払っていた。その一瞬だけは外気に触れて涼しくなるが、結局はすぐに蒸すことになる。
黒髪にしていたので、太陽の光を吸収して余計に暑く感じていたのかもしれない。視覚効果も多分にあると思うのだが、とにかく髪が鬱陶しかった。
なのでその日の夜、エランは同居人であるスレッタにあるお願いをしてみた。
「髪を全体的に短く刈って欲しい…ですか?」
スレッタの言葉にこくんと頷く。
実は学園から逃げ出して2ヶ月近くが経っているが、その間エランの伸びた髪を切って整えてくれたのは、何を隠そう目の前のスレッタだった。
旅の途中、前髪が伸びて鬱陶しくなったエランは、買ったハサミで自らの髪を切ろうと試みたことがある。顔を覚えられる危険があった為、専用の店で髪を切るのは避けたかったのだ。
無造作にハサミを真横にしてざっくり切ろうとしていたところ、その様子を見ていたスレッタに待ったをかけられた。
「わたし、髪を切るのは自信があります!なにせ水星では『美容院』なんてありませんでしたから、ずっと自分で髪を切ってました!」
と言うので任せてみたら、これが実に器用に切ってくれたのだ。後ろ髪の刈り上げ部分すら、ハサミとコームを使って見事に再現してくれた。
切り捨てた髪を払ってスレッタが用意してくれた鏡を見ると、そこに居たのは色だけが違う学園時代のエラン・ケレスだった。
以来髪が伸びたなと思ったタイミングで、エランはスレッタにお願いして髪を切ってもらっていた。
今回は新たな挑戦、新たな髪形のお願いである。
「暑いから、前髪も横の髪も、後ろ髪と同じくらいの短さにしてくれて構わない」
新しいことに挑戦するのに意欲的なスレッタだから、すぐに賛同してくれるかと思ったのだが。
「う~ん…。髪形、ホントに変えちゃうんですか…?」
なんと、難色を示してきた。
「スレッタ・マーキュリーは、髪形を変えるの反対なの?」
スレッタの反応に戸惑いつつも、エランは直球で聞いてみることにする。
「反対と言うか…。まぁ、反対です」
すると、豪速球で帰って来た。
スレッタがこうやって拒否の意を示すのは非常に珍しいことだ。
一瞬エランは一度も断られたことがない『…いや?』という言い方をしようかと思ったが、それで断られたら謎のダメージを受けそうなので止めておいた。
「どうして反対なのか、聞いてもいい?」
単に技術的に難しいという話だったら少し遠出をして専用の店で切ってもらってもいい。帰るのが遅くなるかもしれないが、前もって言っておけばスレッタも許してくれるはずだ。
そう考えて問いかけたのだが、スレッタは少し悩んだあと、ゆっくりした声で答えてくれた。
「初めて会った時、エランさんの髪が耳飾りと一緒にふわふわと浮いているのを見て、綺麗だなぁと思ったんです」
思いがけない言葉に、エランはぱちりと目を瞬く。
初めてスレッタに会いに行った時の事は、よく覚えている。何度かその時の話もしたが、今のは初めて聞く話だった。
そういえば、彼女は髪に一家言あるのだった。地球行きの船の中、色々な髪について話す彼女の様子には驚いたものだ。
エランが思い出している間にも、彼女の言葉は続いている。
「地球に降りてからも、風で髪がなびいていたり、ちょっとした動作でふわってするのを見るの、とっても好きで…いやっ!えっと…!変な意味じゃなくて!でもその髪型はすごくいいと思ってるんです!」
途中から力強く力説され始めたが、つまりは技術的なものではなく、精神的な意味で髪形を変えるのに反対なのだという話だった。
「…ありがとう。でも、そうか、反対か…」
スレッタがそこまで気に入っているのなら、切らない方がいいのだろうか。エランの中で髪を切りたい願望を乗せた天秤が、少しだけ切らない方へと傾いた瞬間だった。
エラン自身はこの髪形にそこまで思い入れはない。エラン・ケレスと同じような容姿にするために、本社に行く度に定期的に髪を整えられていただけだ。そこに自らの意志はない。
少し長めの前髪で眉や目を隠し、やはり長めの横髪で耳を隠す。影武者として考えられた髪形なので、オリジナルも恐らくそうするように強制されていたのだと思う。
刈り上げた後ろ髪だけが唯一解放感を感じさせる要素だった。あるいはそれだけは、オリジナルの意志だったのかもしれない。
未だに本社に居るのだろうオリジナルのことを考えていると、スレッタがいいアイディアを思いついたとばかりに華やいだ顔をした。
「エランさん、顔にかかる髪が鬱陶しいなら、結ってしまうのはどうですか?」
エランは再びぱちりと目を瞬かせた。自分の髪を結うなんてしたこともなく、そうしようと考えたことすらなかったからだ。
「僕の髪の長さで結えるものなの…?」
戸惑いながら問いかけると、スレッタは自信ありげに胸を張った。
「大丈夫。簡単なので、エランさんならすぐに覚えちゃいますよ。ちょっとやって見せますね」
そう言って、まずはスレッタ自身の髪を使って手本を見せてくれることになった。
「前髪とサイドの髪を編み込んで、ピンで止めるやり方です。…編み込みって分かりますか?」
「……その、やり方はよく分からない」
正直三つ編みと区別すらできないのだが、ほんの少しだけ見栄を張ってみた。まったくの物知らずとは思われたくなかったからだ。
「じゃあ基本となる三つ編みと、それを発展させた編み込み、最後に片編み込みをやってみますね」
エランが頷くのを見ると、スレッタはまず三つ編みから作ってくれた。一房取った髪をそのまま3つに分け、端の髪を真ん中に、反対側の端の髪をまた真ん中に、それを髪の先まで繰り返していく。初心者でも何となくできそうな気がした。
「今度は編み込みです」
最初は三つ編みと一緒だったが、途中で端から真ん中に持ってくる髪の束に下の髪を掬って合流させ始めた。こうすることで頭の形に添って髪を編み込んでいけるらしい。初めて知った編み込みの実態に、エランは感心するばかりだ。
「最後は片編み込みです」
多分こちらが本命だ。普通の編み込みは左右の下の髪を合流させていたが、片編み込みは片方の下の髪だけを合流させていくようだ。これはむしろ、普通の編み込みより簡単そうに思えた。
「じゃあ実際にエランさんの髪で作ってみますね」
スレッタがそばに寄り、失礼しますと言いながら前髪をそっと手に掬う。そのまま片編み込みをして横の髪もすべて編んでしまうと、毛先をゴムで纏め、最後に纏めた毛先を側頭部の髪の中に埋めるようにピンで留めた。
彼女の指先が優しく髪を編んでいくのは少しこそばゆかったが、何とか最後まで我慢した。纏められると少し頭皮に違和感はあるものの、随分とスッキリするものだ。
「もう片方も編み込みますか?」
スレッタが聞いてくるので顔を横に振り、こちらは自分でやってみることにした。手間取って編み目がガタガタになったが、何とかピンで留めるところまでやり遂げてみる。
「わっ、初めてなのに上手にできましたね」
スレッタが褒めてくれる。エランは少し得意な気分になりながら、改めて鏡を覗き込んでみた。
前髪と両サイドの髪を束ねるだけで随分と印象が違ってみえる。エランは不思議な気持ちで鏡の中にいるエラン・ケレスの顔を見つめた。
これで暑さが少しは紛れるだろうか。
エランの天秤は、もう髪を切らない方へ比重が片寄っていた。
せっかく彼女が手ずから教えてくれたのだ。明日は少し早起きでもして、自分で髪を編み込んでから仕事へ行こうか。
ほんの少し楽しみにしながら、エランは寝る前まで何度か練習をした。
そうして次の日、エランはとても困っていた。
仕事先の人の視線が気になってしまう。急に髪形を変えたからか、視界がスッキリしたからか、妙にエランを見てくる人々が目に付くのだ。
学園にいた頃は人の視線など無視できたし、それは昨日までの自分も同じだった。
では今は何が違うのかと言うと、やはり髪形とクリアになった視界だと思えた。
自慢ではないが視力はいい方だ。そうでなければモビルスーツのパイロットにはなれない。
その視力で見えてくるのは、こちらを見てくる人、人、人、だった。
鬱陶しいと思っていた長めの髪が思わぬところで帳の役目を果たしていたのだと知り、エランは動揺した。視線一つが気になるなんて、自らの軟弱さにショックも受けた。
…実は視線が気になる大半の理由は、自ら編んだ髪形がおかしいのではないかと心配する気持ちから来ていたのだが、この時のエランは気付かなかった。
結果として、エランの編み込んだ髪形は一日限りのものになったのだった。
「あれ、エランさん。髪は結わないんですか?」
「…よく考えたら毎日は大変だし、少し我慢すればいいかな、と思って」
エランらしくない物言いだと思ったのか、スレッタが心配そうに眉を下げた。
「わたしの我が儘でエランさんを困らせちゃいましたか?…やっぱり短く切りましょうか」
「…いや」
その時のエランが思ったのは、髪を切ったらせっかく教えてもらった編み込みができなくなる、ということだった。それはなんとも惜しく思えた。
「切らなくても、平気。でも、そうだな。二人で出かける時だけは変えて行こうかな。…上手くいかなかったら、代わりに編んでくれる?」
エランの言葉に、スレッタが驚いたようにパチッと碧い瞳を瞬かせた。
このキラキラした綺麗な視線がよく見えるなら、髪を結うのも悪くない。そう思い、エランは照れたように小さく笑った。
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