あとは悲鳴が響くだけ

あとは悲鳴が響くだけ

 

「うちも経営難でな」

 やけに平坦な父親の声が頭上から降ってくる。

 クロコダイルはふと、そういえばこのひとの明るい声だとか優しい声を聞いたことがあったっけ、と、まだ小さな頭で考えた。

「海賊の子供は丈夫で評判がいい。奴隷にしたがる奴も多い」

 縛り上げられた腕がきりきり痛む。縄が肌の柔らかいところに食い込んで、クロコダイルは顔をしかめた。

「何だ、その顔は」

 瞬きもしない間に、顔に衝撃を受ける。殴られたのだと気づくのに数秒かかった。今まで置物のように扱っていたのにこんな時だけ殴るのか、とクロコダイルは頭の片隅で思う。

「……」

「……ま、運が悪かったな。お前も……この船も」

 クロコダイルが何も言い返さないのを見ると、父親は気だるげにそう言って部屋を出ていった。

 普段はあまり人が入らない物置で、クロコダイルはそっと目を閉じた。

 クロコダイルの両親は、そりゃもう海賊の鑑のような人たちだった。色んなものを踏み躙りながら夢を見ている人たちだった。自分たちの欲しいもの以外は心の底からどうでもいいと思える人たちだった。

 そんな二人にほとんど放られて育ったクロコダイルには、母親に抱かれた記憶も、父親が歌う子守唄の記憶もない。

 だから、明日自分が売られるということを、クロコダイルはどこか納得して受け入れていた。あの人たちならこういうこともするだろう、と。

 ただ、クロコダイルには一つだけ思うことがあった。

 それは兄のキャメルについてだった。クロコダイルは両親がキャメルのことを、自分と違って目をかけていると知っていた。自分が売られるのも、経営難なんかじゃなく跡目争いを防ぐためだということもわかっていた。

 確かにキャメルは強くて器用で、頭も良くて船でも役に立つ。弟であるクロコダイルの面倒もよく見た。

 クロコダイルはそれが少し悔しかった。そんな優秀な兄を、いつか負かしてみたいと、そして両親に少しだけでいいから褒められてみたいと、密かに思っていた。

 でも、それはできない。明日、自分は売られる。海賊船の中で船長の判断は絶対だ。船長である父親がクロコダイルを売ると決めたなら、売る以外の選択肢はそこでなくなる。そういうものなのだ。

 クロコダイルは胸にすかすかしたものを感じながら身体を丸め、そのまま眠りについた。できれば目覚めたくない、と思いながら。


「……ロ、クロ」

 身体を揺さぶられて、クロコダイルは目を覚ます。声の方を見ると、キャメルがハサミを持って顔を覗き込んでいた。

「……兄貴」

「可哀想に、縛られて……ああ、顔も腫れているね、ぶたれたのかい?」

「もう、……着いたのか?」

「……」

 キャメルは一瞬悲しそうな顔をしたあと、すぐに優しく微笑んだ。

「大丈夫。まだまだだよ」

「そうか……」

 そう言ったあと、キャメルはハサミでクロコダイルを縛る縄をちょきちょき切り始めた。

「!? 兄貴、何してるんだ」

「何って……クロを助けに来たんだよ」

 クロコダイルは自分の耳を疑った。いつも両親の言うことをよく聞く兄がそんなことをするなんて、とてもじゃないが信じられなかった。

「そんなことしたら親父が黙ってないだろ」

「クロ……」

 縄を解いたキャメルは、クロコダイルの肩に優しく手を置いて尋ねる。

「クロは……奴隷になんかなりたくないよね?」

「それは……」

「大丈夫。正直に言って」

 クロコダイルは、キャメルの手が少し震えているのを感じた。この手に何度も頭を撫でられ、危ないことをしたら小突かれたことを思い出した。髪を切ってもらったことを、ほつれた服を繕ってもらったことを思い出した。

 すると、自然と本音が口から溢れ出す。うつむいたクロコダイルは、自分にも聞こえないような小さい声で言った。

「なりたく、ない…………」

「……そうだよね」

 キャメルは弟の答えを聞くと、その釣り上がった目を伏せた。肩を掴んだ手を背中に伸ばしてぎゅっと抱きしめ、大丈夫だよ、とささやく。弟が肩口に顔を埋めて、そこが少し温かくなるのがわかった。

 しばらくそうした後、キャメルは名残惜しげに手を降ろし、床に放っていたハサミを持った。

「おれが戻ってくるまで、ここにいるんだよ」

「兄貴、どこに行くんだ……?」

 クロコダイルはいつもの気丈な様子と打って変わって、不安げにキャメルを見つめる。キャメルは胸が締め付けられる思いだった。

「……クロ、今から言うことをよく聞いて」

 とても真剣なキャメルの声に、クロコダイルは小さな頷きで応える。

「いいかい、クロ。親殺しは人として許されない罪だ。それ以外逃げる術が無かったとしても、何をされていたとしても……それは一生付き纏い、世間からは許されない。絶対にするなよ」

 出窓からの逆光で、キャメルの顔は真っ暗だった。

「おれは今から親殺しだがな」

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