分水嶺③

分水嶺③


ひとつ前



「いいからとっとと吐け」

「分かってるってばもう〜……あ、そういや秘書サンは呼ばなくっていいの?」


ルッチに軽く小突かれ、渋りながらも元の席に腰を落ち着けたその子供は不意にここにいないもう一人の"同僚"を指して言葉を零した。先の諍いの余波を盛大に被ったカウンターの内側を拭いていた手が思わず止まる。

警戒の構えを取りつつルッチと反対側の席に着いたカクが、目深に引き下げたキャップの下から低く問い質す。


「……貴様、いったいどこまで知っとるんじゃ」

「うはァ怖い怖い」


けらけらと戯けた調子で返した態度が気に食わなかったのか、未だ置きっぱなしにしていたアイスピックを手にしたカクが素早くその先端を突き付ける。攻撃の意思は見て取れなかったそれが鼻先で止まったことを確認し、やんわりと咎めながら回収した。


「やめておけ、カク」

「なんでじゃブルーノ!」

「ウチの備品だ。……それに、今はルッチに任せるべきだろう」


──どういう訳か知らないが、我らがリーダーはこのいかにも無害そうな皮を被った少年の本質をいち早く見抜いていたらしいのだから。

言外にそう含ませながら視線を向けると、常と変わらぬ仏頂面がさも億劫そうに口を開く。


「……おれは言ったハズだ、カク。『油断するな』と」

「っ油断なんぞ、」

「カク」


咄嗟にカクの発言を遮るように再び放った声に、呆れの色がいくらか混じってしまったのは仕方の無いことだろう。気持ちは分からなくもないが、こういうところはやはり最年少だと少し微笑ましさすら覚える。

逡巡を乗せた視線が自分とルッチとの間を数度往復し、やがて続くはずだった言葉は飲み込まれ音になることは無かった。

大人気ない自覚はあったようで何よりだ。


軽くため息を吐き、心持ち多めに加えたグレナデンシロップのボトルをテキーラの隣に戻す。

きっちりとトップを指で抑え手早くシェイクして氷の上から注げば、鮮やかなサンセットカラーがオールドファッションドグラスを満たした。狙い通りのそれに満足しつつカクに差し出すと、未だどこか不満げながらも大人しく口をつける。


「……確かに少しは油断しとったかもしれんが。普段がアレじゃからして、警戒するにも気が抜けるというか、」


言い訳でしかないことは重々承知の上なのだろう。不貞腐れたような声音に覇気は無く、それも次第に小さくなっていく。

良くも悪くもそういった感情の機微に疎いルッチの眉間に徐々にシワが寄っていくのが見えて口を開きかけるも、僅かに早く場違いなトーンの声に先を越された。


「え〜っ、センパイってばそんなにぼくのこと信用してくれてたのォ?」

「黙っとれ。……まさか、こうも上手く本性を隠しとったとはな。とてもじゃないが想像しとらんかったわい」

「うっは〜〜超辛辣じゃん、ウケる!」


言葉の割に剣呑さの見られないやり取りに、知らず張り詰めていた気が緩む。

先の応酬があったとはいえ、やはり感性に関して言えばこの二人はどこか近いところがあるように思える。……そんな風に考えている時点で、既にあの子供の手のひらの上なのかもしれないが。


そんなことをつらつらと考えながらコニャックとクリーム・デ・メントを軽くステアし、出来上がったスティンガーを未だしかめっ面を浮かべているルッチの前に置いた。もちろん小さめのショットグラスを横に添えるのも忘れない。


「………」

『ポポーッ』


無言でステムを持ち上げた主とは対照的に、カウンターに降りたハットリが愛想良く感謝を告げる。

マティーニグラスを傾ける仕草は様になっているが、隣で器用にも羽を使ってグラスを持つ相棒のほんの一割でも感情を表に出せば良いのにとはガレーラの船大工たちの間での共通見解だ。


「それで、」


最近仕入れたばかりのコニャックを使ったそれがルッチのお気に召したらしいことを確認し、問いを投げかける。


「お前は何が切っ掛けで気付いたんだ?」


それなりに人を見る目はあるつもりだったが、それでも少し前までガレーラの危なっかしい新人という程度の印象しか抱いていなかったのだ。おれよりずっと近くで見ていたはずのカクやカリファもまるで警戒している様子など無かった。

それ故にルッチがあの子供を要注意人物であると断じたその理由を知りたくて尋ねたわけだが──、


「おれだって別に詳しい事情を知ってるわけじゃねェ」


にべもなく、疑問は一言で片付けられた。


「一目見て判った、それだけだ」


あまりに端的なその返答に、耳を傾けていた二人が揃って心底呆れたように深くため息を吐いた。かく言うおれも、心境としては右に倣いたい心地でいっぱいだ。


「わしらが聞きたいのはそういうことじゃ無くてじゃな……」

「あのさァ〜〜……君、言葉足らずってよく言われない?」

「事実を言ったまでだが」


心外だとでも言うように鼻を鳴らしたルッチがグラスを回しながら話を変える。


「そもそも、何も知らねェからこうしてお前を呼んだんだ。……いい加減に答えろ」


温度の無い声が瞬く間に空気を塗り替える。鋭い眼光が少年と青年との境にいる子供を睨め付ける。ステムに添えられた指先がカチリと音を立てて見れば、豹の爪が血を求めてその片鱗を覗かせていた。


「──お前は何者で、何故ここにいる」


その年齢が自称の通りなら失神してもおかしくないほどに張り詰められた緊張感を、けれど尋問されている当の本人は涼しい顔で肩を竦めるだけで受け流す。

そうして無造作に目元にかかる髪を一房つまみ、くるくると玩びながら話し出した。



***



「社長サンと艤装の職長センパイには話してあるんだけどさ、」


そう前置きした子供の口から語られたのは、今いるのが偉大なる航路でなければ到底受け入れ難いような話。

こことは違う異世界にて、我々の知るそれと同じ容姿と名前を持つ者たちと共に日々学生生活を営んでいたこと。そんな中、不意に放り出された知らない世界で初対面の見知った顔に出会したこと。事情を話して職と寝床を得、そうして今までどうにかやってきたこと。ガレーラの手伝いをする中で知った関係性や立場の相違に違和感を覚え、元々の知識と集めた情報を照らし合わせることで推測を立てたことなどなど。


夢物語じみた事の経緯に半信半疑といったカクとおれに比べ、ルッチはどこか得心がいったような表情を浮かべている。想定の範囲……とはいかないまでも、あいつの中で何かしら納得できる理屈があったのだろう。


「別に確信なんてなかったけど、」


改めて出したグラスを傾けながら嘯くその顔は、右も左も分からない土地で情報収集をする上で大いに役立ったことだろう。


「ぼくだったら"そう"かなって思ったから。──ねェ、サイファーポールの殺戮兵器」


……本当に、いったいどこまで知っているのやら。


にこりと害を感じさせない笑顔をルッチに向ける傍らで、カマをかけられていたことを理解したカクが顔を顰めているのが目に入った。

その苦々しげな視線に気付いているのかいないのか……いや、おそらくは分かりきっているのだろう。

それでいて素知らぬふりで纏った柔和な雰囲気に、いったいこれまでどれほどの数の人間が──そこにはガレーラを訪れた政府の下っ端役人も含まれていたに違いない──気を許し口を滑らせてきたことか。……考えるだけでも背筋に冷たいものが走る。


(一歩間違えれば、おれもそうなっていたかもしれない)


服部ヒョウ太という存在は、我々にとって考えるまでもなく脅威だ。

特定の個人やコミュニティの懐に潜り込み、警戒心を解くのではなく抱かせない手腕には目を見張るものがある。聞く限り命のやり取りこそ日常ではないものの、身を守る程度の術は持ち合わせているようだ。


「……しかし、それだけではルッチが一目でお前さんのことを見抜いた理由にはならん気がするんじゃが」


ぽつりとカクが洩らした呟きに、思考の海を漂っていた意識が呼び戻された。

言われてみれば確かに、このアンバランスな子供が異世界からの訪問者であることとルッチの気付いたことに残りのメンバーが気付けなかったことはイコールでは繋がらない。


「同じ人間なんだから気付くに決まってるだろう」

「ルッチお主、わしらのことなんじゃと思っとるんじゃ?」


何か勘違いしている気がするカクはさておいて、ルッチの発言に思わずそちらに目を向けた。

似ても似つかない、はずだ。

ドジでお調子者な性格も、ころころと目まぐるしく変わる表情も、細身に見えて案外力持ちなところも、常に身に付けている眼鏡とマスクも、三白眼気味な瞳の色も、──口元から覗く、肉食獣の牙のような尖った犬歯も。


「……言ったじゃん、同姓同名の人間がいるって」

「まさか、」


同じ悪魔の実は世界に二つと存在しない。

袖口から伸びるもはや見慣れた獣の前脚に、疑念は確信に変わる。唸るように零した言葉に、先の言葉の真意を理解したカクの息を飲む音が重なる。


「そ。ぼくのホントの名前はロブ・ルッチ」


自分たちの知るその名の持ち主とはまるでかけ離れた愉快げな笑顔を浮かべながら、子供は改めて名乗った。


「そこのトンチキ腹話術野郎とおんなじ……とはあんま思いたくないけど、まァ仮の姿ってヤツだよ」

「うるせェ、トンチキ間抜けドジが」



続いた

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