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 煙のように、誰の記憶にも残らずふっと消えてしまいたいと思う時がある。それは得てして私が無力感に敗北した時だ。だがその裏面には、私の存在を遍く人々に知らしめたいと言う私もいる。――裏面と言ったが、魂の側面がコインの表裏のように明快なら、私はここまで発狂していない。断っておくが、悲観的な態度が鼻についたら、今すぐ読むのをやめてほしい。私のために。




 酒が好きだ。アルコールの酩酊は全てを曖昧にする。世界すらも。そしてその曖昧な世界は、私という曖昧な存在をも肯定する。そのまま深く深く酔ってしまえば、大切な事ほど酔いに流されてどこかへ行ってくれるし、そうすれば安眠できた。


 煙草が好きだ。煙草は酒と違い、どれだけ吸っても正気ではいられる。そもそも煙草を吸おうというのが正気ではないという人もあろうが、それには目を瞑って欲しい。そんな事は私にも分かっているのだ。


 だが、何もかもが酩酊に丸め込まれた世界で、涙が出るほど強く吸えば、痛みを伴いながら一瞬だけ、自分の輪郭が見える。そうして消えたがりで生きたがりの私は、私がまだ消えていないことに安堵するのだ。


 酒も煙草も、言わば緩慢な自殺だ。殊に私なぞは一度肺を壊しているし、そのせいか未だに気管支も悪い。そんな私がそれらを手放せないのは、無論依存しているだけでもあるのだが、私はただ安心したかったのだ。身体に悪いからやめろと、耳が腐るほど言われてきた。だが、身体に悪いとされるものは須く魂には優しい。靄で覆ってしまえば、そしてその中に自分が見えれば、安心できたのだった。


 私は大抵のことは流してしまえるたちだ。例えば他人に何を言われても、そうですかの一言で済ますことができる。それは他人に興味がないからで、一度波立った感情を鎮めるのが上手くなくて、怒るとひどく疲弊するからだ。それを優しさと呼んでくれる人もいるが、私ならそんな優しさは欲しくない。“事なかれ”に過ぎないと知っているからだ。言葉ではなく言葉の意味を見ろ、とはよく言ったものだと思う。誰の言葉かも知らないが。




 こうして流してやり過ごしてきた数々が、今になって牙を剥いてきたのだと思う。酒を飲んでも眠れない。煙草を吸っても何も見えない。表に出てうまいものを食べても吐き気が止まらない。いっそ吐けるなら楽だったのに。仕事だけは上の空でこなす私と、その後頭部の辺りに浮かんで私を嘲笑う私とが意識の中で輻輳する。息がうまく吸えず、喉の奥でがらがらと怪物が呻く。その怪物の名こそ“無力感”だと私は知っていた。初めてではないのだ。またか。結局これか。そんな声が耳元にこびりついて取れない。


 渦中の人間はいつだって悲観的で、冷静でもいられない。


 だが初めてではない以上、私はこれを解決する術も知っていた。術と言っても処世術めいたものではない、ただ時が解決するのを待てばいい。止まない雨はないのだ。――陳腐な言い回しと笑うがいい、ああ、そうだ、覚めない夢もまたないのだ。いつ覚めるかは私が決めるが。


 ただ待っているだけではそれこそ正気ではいられない、それも私は知っていたため、こうして筆を執っている。乱筆は勘弁して欲しい、これは本来誰に見せるでもない文で、文字通りの“酔狂”なのだ。


 この乱文を戒めと、いつか帰るという約束に変えて、これにて擱筆としたい。

 ひどく、頭が痛むのだ。



令和3年11月3日

丹生 執



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