ギルドハウスと私
モエピス(野上萌)《私とギルドハウス十日町の出会い。》
それはギルドハウスの初夏。
その頃私は「まちづくり」を勉強する大学2回生。座学に飽き飽きしてました。(ジッとできないタイプなのです笑)
そもそも「地方、まち」ってなんやねん、と
交通の便に困ったことのない所で生まれ育った私には自分の行動範囲外についての想像力が乏しかったんです。
ジッとできないタイプの私は早速、地域プロモーション事業をされている株式会社toizの大塚さんに「インターンさせてください!」とアタックをし、
大学2年生の夏を株式会社toizのインターン生として十日町で過ごしました。
その時滞在させてもらったのがギルドハウス十日町。
まるで文化遺産指定されているような古民家の前に大塚さんの車が止まった時、
あぁ、一体全体どうなるんだと実は全身汗ぷっしゃーでした。
お邪魔しまーすと入ると、その頃ギルドハウスを改築していたパーリー建築が
ギターを、マラカスを、ジャンベを片手に昼間っから歌っていました。
その場で目も口も全開の私に「モエピス」という名をつけてくれました。
外観も空間も人もギルドハウス十日町全ての要素が
一般ピーポー家庭の真面目すぎる両親に育てられた私には奇想天外な体験。
「夜行バスで異国の地に来たのか」と錯覚させるくらいにはクレイジーで
そしてどこか懐かしい場所でした。
《ギルドハウス十日町でのくらし》
さて、目も口全開だったモエピスはその後どうなったかのお話です。
それが“まさか”3日もすると慣れるというか、むしろ心地よく感じていました。
親戚でも友人でもない5歳の少年に、クマのぬいぐるみを顔面に投げつけられた衝撃で渋々起きる朝も(わりと痛い)
居間に行くと高確率で新キャラに遭遇する空間も(変なTシャツ着てる時はなぜか更に高確率)
みんなでご飯の準備して、ハリーポッターの晩餐(和製)のように大勢で机を囲むスタイルの夕食も
慣れてしまうんです。
そして実家に帰ってから、ギルドハウスでの生活はもしや狐につままれていたのではないか?なんて思い始めます。
集団の空間(コミュニティ)を運営するためには、統制が必要だと思われがちです。小学校の教室を思い出してみてください。「授業中話さない、悪口を言わない」という注意書き。廊下にも「走らない!右側通行!」という赤文字で書かれた張り紙があり、もはや風景と化していた思い出が笑
でもギルドハウスには注意書きはありません。
その理由をギルドハウスのマスター、ハルさんに聞いてからもっと好きになりました。
《ギルドハウス十日町はポケモンセンター》
例えば、皆さんがポケモンだったとして・・・のお話です。
もし何某と戦い、HPがみるみる赤になり、そして瀕死になったとき。
どうしますか?
ポケモンセンターの回復するマシーンの前にいる可愛いお姉さんの腕に飛び込みに行きますよね。
私はポケモンではありませんが、辛いことがあって元気が無くなったとき実家から360km離れたポケモンセンター、ギルドハウスに飛び込んでました。
実家じゃないのに、「おかえり」っていってくださるみなさま。
いくら散財しても夜更かしをしても爆食をかましても、消えなかった辛いなーって気持ちが吹っ飛んで行きました。あぁ不思議。
そしてホカホカのご飯、、、。
ん~~~~~。
こんなこと書いていたら行きたくなっちゃいました。
夜行バス何円くらいかなーなんて思いながら書いてましたことを白状します。
と、長々と。
もし次に書く機会があったら、今度はギルドハウス生活を経たあとに変わった大学生活みたいなものをつらつらと書きたい。